2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
コロナ禍ゆえに介護施設の義母親に 会えないなか、ケアマネージャーから 義母親の施設での様子を聞きました。
義理の母親が病院の入院、転院を経て 介護施設に入所しましたが、この3か月 で義母親に会えたのはわずか4回。 コロナ禍とはいえ、家族は寂しい思いです。
樹木葬のお墓にした私が、樹木葬を お勧めする理由。 母親の介護からは解放されましたが、 亡くなった母親のお墓がなかった我が家が、樹木葬にしたポイントは、将来の 費用負担の少なさでした。
親の介護ってストレス溜まりますよね。 私のストレス解消法は、プランターでの 野菜作り。わずかな時間だけ野菜を手入れしているだけで、その時間だけは、親の介護を忘れられます。
母親が介護施設で亡くなり、葬儀を行った時の失敗事例です。受付での 記帳の管理について、見知らぬ名前の 香典があり四苦八苦した話。
母親が亡くなり、葬儀が終わってから 最初の法事で、大失敗を、やらかしました。介護と一緒で、周りを頼らないと しっぺ返しがきます。
大切な家族の一員だったペットの柴ちゃんの旅立ちの日です。母親の懸命の介護の甲斐なく亡くなった、ペットの柴ちゃん。
まだ両親も元気で、私も実家近くに 住んでいた頃のペットの愛犬柴ちゃん とのかけがえのない思い出。
①親の介護、葬儀、お墓までの体験。 ②親の介護保険、親の介護施設、 親の葬儀会社、親のお墓(樹木葬)等 将来の備えについてのカテゴリー。 各カテゴリーへのリンク目次です。
私がまだ実家住まいで、で両親も健在だったころ 私の実家に、ペットの愛犬柴ちゃんが やってきました。そんなペットとの 出会いから介護、別れまでを振り返ります。
父親の介護中に、私と妹で父親に聞きとりながらエンディングノートを作成し 父親のもしもに備えます。 しかし、父親が亡くなり葬儀でエンディングノートを使ってみるも、様々な失敗が、ありました。
母親が介護の甲斐なく亡くなりましたが お墓がありません。葬儀が終わり 納骨(49日)までのわずかな時間で 樹木葬のお墓を購入。次世代に費用負担のない、新しいお墓の形です。
両親の介護で体調が悪くなったきっかけは、急激な環境の変化が大きいと思います。私の長男もまた、結婚の延期や 相手の父親の介護のために相手の地元に 引っ越すことに。
コロナ禍の中、義母親の介護施設への 入所が完了、そして私の息子は結婚式の延期という状況になりまいた。
義母親の介護施設が決まりましたが 義母への説得が残っていました。 コロナ禍で面会が限られる中、 妻が義母親に話した言葉は、
入院中の義母親の介護施設選びが スタートしました。そんな中で 入院以来初めての義母親との リモート対面が実現しました。
義母親が転院、しかし1か月の間に 介護施設を探さなくてはいけません。 コロナ禍で年末年始のこの時期に。
義母親の介護編~コロナ禍の中 妻は義母と面会は出来ませんが 着替えを持って日々病院へ 暫くして転院となります。
コロナ禍での義母親の突然の入院。 コロナの検査で、診察もすぐやってもらえない。私の母親の介護の事も思い出されます。
義理の母親がベットから落ちて 動けなくなってしまいました。 私の母親の事が、脳裏をよぎります。
親の介護の合間のストレス解消は 野菜の栽培です。野菜の手入れ収穫中は 親の介護の事も忘れられます。
通いでの親の介護は、介護する側の 不在時間が長いので、ご近所さんの見守りは、本当にありがたいです。
亡くなった母親と仲の良かった叔母が 体調不良で、私にエンディングノートを 託してきました。周りの人に迷惑をかけない思いがつまった、エンディングノートです。
親の葬儀から納骨までの手順を私の体験を交えてお伝えします。 親が介護施設で亡くなった瞬間から 悲しむ余裕がないほどの怒涛の49日間でした。
母親は自分の足でいつまでも歩きたいと 自分の足に合った靴を購入しました。 介護が必要ない丈夫な足腰を維持するために。
両親の介護は普段家の事をやらない男性は使い物にならない?私の事です。
両親の入所する介護施設は様々な 形態、料金プランがあるので 実際に見て聞いて、見学してから決めることを、お勧めします。
両親が亡くなり、私の生まれ育った家は 誰もいなくなった。介護の甲斐なく亡くなった両親のそして私の家が。
両親が亡くなってからの様々な手配が 大変です。両親が元気なうちに家族で 葬儀の事、お墓の事、住所録、通帳の事を話し合うべきです。
父親の遺志で葬儀は家族葬で行うことになった。生前、父親が介護施設に通っているころに決めていたようです。