両親の介護~葬儀 私の失敗談
母親の病院探し 見つからない病院
と分からない病名
私の母親は70歳前後から外出、在宅
問わず転倒する事が多くなりました
最初は段差のある場所での転倒
だったのですが、平坦なところでの
転倒も増え、体中鈍い痛みがあると
訴えるようになりました。
以前は友人と旅行に行ったり、趣味
の油絵や洋裁をしたりと活動的
でしたが、転倒、怪我、痛み、通院
が日常的になり母親は『早く治して
皆と楽しみたい。』と言い私や妹が
付き添い、まずは病名を判明して
もらい治療をさせるために地元の
かかりつけ医へ。そこで整形外科を
紹介され診察するも、具体的な病名
は判らず、リハビリ病院を紹介され
ました。介助を受けながらリハビリ
をするも痛みが酷くなる一方で
転倒や痛みは改善されず、逆に容態
が悪くなりました。
その後も病院や知人に紹介された
病院で診断するも、母親の容態が
改善されることはありませんでした
病院探しを始めて2年ほど経った頃
行ってみた大学病院の先生が、
今迄の病院探しの経緯や母親の
症状を熱心に聞いてくれて、
同じ大学病院内の先生方にも
診察を受けさせていただいた結果
パーキンソン病だと判明しました
当時はパーキンソン病は世間では
知られていなかったと思います。
数々行った病院でもパーキンソン
という言葉さえ出てきません
でした。
病院探しであちこち転々として
筋肉に負荷をかけるような
リハビリをさせられて余計に
容態を悪くするような事になり
母親には申し訳ない事をしたと
思っています。
病名が判明したころには、
要介護3で自力で身の回りの事
が出来なくなっていました。
母親が医療付介護施設に入所
したときには、自力での食事
が出来なくなり胃瘻によって
栄養を取るなど母親の末期は
私達家族や本人にとって非常
に辛いものになりました。
病名が解らないときに、病名
を判明させて、適切な診療先を
紹介してくれる専門医が身近に
あれば母親を2年も病院探しで
寿命を短くすることもなかった
のではと、母親が亡くなった今
でも自問自答する時があります
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