義理の母親はコロナ禍での介護
施設への入所で会話のない生活を
強いられ同時に足腰や視力が悪く
なり、徐々に認知症が進行して
いき3年の介護施設生活で我が家
は介護施設であると思うように
なっていた。
一時帰宅をしても目も耳も悪い
せいか話も弾まず、小1時間で
『家に帰らないと』と、
介護施設が我が家と信じている
様子で、子供達が親と接して
喜ぶ?一方通行の状態だ。
だが義理の母親が唯一声に出して
感情をを出したシーンがあった。
それは義理の母親の長女(私の妻
)が私と結婚する時に義母親が
直伝した煮物を妻が作り口にした
時に『これは旨いや。どこかで
食べた事のある味だ』と声を
あげた事だ。味覚、臭覚は健在
だったこともあるが義理の母親
直伝の煮物には一瞬、健常時に
戻ったように喜び、声をあげた。
義理の母親の衰えを実感し、
我が子の名前までも直ぐには
出て来ない義理の母親が唯一
当時のままの素を見せてくれた
瞬間が僅か一つだけでも残って
いた事に兄弟姉妹は安堵した。
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