2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧
正社員を定年退職した後、老後の生活の資金不足を解消するために パートやアルバイトで生活資金を積み上げたいという方は増えていますが、現役時代の様に全てが給与支払い時に会社が全て手続きをしてくれるわけではないので、 自分ですべきこと、国民年金の…
親や自分の要介護に備える事は、 介護の履歴書を作っておく事です。食事の内容や歩数などの運動の記録、かかりつけ医への通院の記録や健康診断の数値などを自らの日誌にひとまとめにして家族と共有しておく事。
子供の独立や定年退職を機に心身ともに気が抜けて病に、要介護にという人は多いそうですね。 特に子供命で子供の成長や世話焼きに生き甲斐を見出していた人ほど心身の緩みから要介護なんて言う事も・・・。
高齢の親の心身の変化に対して家族は常に目を光らせ、少しでも 悪い兆候かな?と感じたら、 即病院で診察し、現状の要介護度からさらに進行しないうちに対策を講じる事が重要です。
親が出先や玄関で転倒すると連絡を受ける事が多くなり、杖を使っても転倒は回避できなかった。 タイルや滑りやすい素材の床では 杖先から前のめりで転倒する事が多く、杖先ゴムで改善を図ったが 既に筋力低下は著しく、間もなく歩行困難となった。
ペットボトルが空けられずに飲料が飲めないなんて健常者では考え付かない事。 母親の介護で初めて当たり前の日常生活が当たり前ではないと気付いた瞬間でした。
母親が筋力低下で日常生活に支障が出て要介護になった時、水道の蛇口を回せない、ドアノブを握れずドアを開けられない。 昭和の家は要介護者には使い勝手が悪く、あくまで健常者向けの仕様だと実感した。
親の介護ストレスを我慢し口に出さない事は、介護する側が先に病んでしまう事を意味します。 親の介護のやり手がいなくなり、 要介護の親を路頭に迷わせない為にも、親の事を周囲に話しアドバイスを求め、休む時は休むとメリハリを作る事。
要介護は自分の親や自分自身の事だけだと思っていましたが、私達の青春時代や親の介護中に聞いた あの頃のアーティストも要介護、 闘病、天国へと旅立つ方が増えて 寂しい限りではありますが、アーティストのいい所は、あの頃の映像やCDがあの頃のまま残って…
両親の介護は終わりましたが、両親の介護中に励まされた学生時代に好きだったアーティストがライブ開催の告知に飛びつき、来春のライブに行く事に。 私の学生時代のアーティストも 60歳を過ぎてこのライブを逃したら、もうライブにはいけないかもしれない?…
介護ストレスでテンション低めだった時期に、学生時代によく聞いていたアーティストがコンサートライブの告知があり、妹と親の介護の日程調整をして久々にライブ会場であの頃に戻り熱狂してきました。 自分がやる気に満ち溢れていたあの頃に戻れ瞬間は、なに…
先の見えない親の介護の中にも 介護する側がリラックスできる様な時間を作る事で代り映えのしない親の介護にも記憶に残る瞬間を作る事ができます。 例えば親の住む街の図書館で本を借りて介護の合間に刺激を得る事も方法の1つです。
先の見えない親の介護、特に在宅介護は代り栄えのない日々で同じことの繰り返しになりがち。 そんな日々、親の食材の買い物のついでに景色や興味のある店に立ち寄る事で、もう少し頑張ろうという気持ちになります。
両親の介護と見送りを終えて、 今や私が60歳越えとなり正社員から時給契約に代わり、身心の衰えも感じる今日この頃ですが、 親を介護して来た教訓として、 元気な内に身辺整理を日常生活の中に取り入れて日々断捨離や証券の整理を行っています。
老後は慎ましく出しゃばらずに生きる。 そんな生活が生き甲斐を失い要介護へ近付く1歩となってしまうので、若い子世代に経験値を還元できる様な趣味や人との関わりを維持して生きる事が頼りにされる存在であり続ける秘訣です。
子供が独立し定年後は夫婦2人になり、好きな趣味をしながら子供や孫に会えるのを楽しみに生きる。 ただし互いに健康維持をして要介護や認知症にならない様にしなければ楽しい老後は送れない。
定年退職の後の老後生活こそ自分で何でもするという気持ちを持つ事が大事である。 出来ないと逃げていたら心身ともに弱り要介護のリスクが高まります。 限られた収入でのやりくりが求められる年金生活では、現役時代よりも自分でやり遂げる気持ちを持つ事が…
定年退職時に心身に問題を抱えていたら、楽しい好きな事をして生活する老後はありません。 40~50歳の内から、定年後を見据えた心身の健康維持を続けていく事が、健康寿命を長く保つ秘訣となり要介護の防止に繋がる。
仕事や家族の為にという生き甲斐を定年退職、年金生活と同時に 放棄し、食べる、テレビ、寝る だけの生活になると要介護や認知症のリスクが高まるので、老後も目標設定や生き甲斐を作り日々が刺激に満ちた生活を送る事が重要だ。
サラリーマンを定年退職すると 今迄会社でやってくれた事務手続 を全て自らPCやスマホで行う事となり、気力体力の充実して、まだまだ要介護とは無縁の健康管理が必要である。
親の介護をしていて感じるのは 外出時に各施設においても交通機関においても、この国は弱者に厳しい社会である事です。 あくせく忙しく時間に追われる社会では弱者が生きていくには厳しすぎるのです。
日本は規律正しく勤勉な国だが、 医療や福祉、介護には理解が少ない国であり、要介護の介護をする家庭にとって外出し施設や交通機関を利用するには気を遣うお国柄であり、健常者が手を差し伸べるというよりは、要介護者が気を遣い遠慮するイメージだ。
要介護者や高齢者に対する健常者や現役世代の目は厳しい。 乗り物一つ利用するにも早い行動や忍耐が求められる。 要介護者に対する優しい環境が整備されないと病院1つ、買物1つ外出が出来ないのだ。
親の介護は介護する側にもされる側にも先の見えない苦難の連続である。大多数が介護弱者を見下すような言動が多い中、少数派でも介護経験者の方達からの何気ない励ましの言葉が明日への活力となる。
要介護の親を元気つけようと、 必ず元気になるから。また旅行に行けるよ。などと過度な個体をかける事で、親の頑張りすぎや、社会復帰ができなかった時の絶望感を与える事になります。
要介護になった親にもプライドがあり、今迄家族を支えてきた自負があります。 そんな親を見下したような口のきき方は親の頑張ろうという気持ちさえも削いでしまいます。 家族も親として接するという最低限のルールは守る事。
親が要介護であっても親の進言には耳を傾けるべきです。 長い間食生活などで同じ趣向で体質も似ているのですから、中高年になれば同じ症状の体調になる事もあり得ますので、親の要介護の現状を自身の鏡として体調管理に取り組みたいものです。
親が70歳近くになったら家族は今迄より親の様子を注視して、体調の変化に即座に手を打つ事で要介護のリスクを未然に防げるかもしれません。親の救いのサインを見逃さずに対処する事が大事です。
生前の母親が体調に異変を感じ始めて長男である私に電話をかけてきました。私には体調不良の件は一切言わずに家の片付けをしたいと言ってきたのですが、私は仕事の忙しさを言い訳にして母親の相談に乗りませんでした。
親が要介護になった。その事を受け止め当たり前の様に親の介護が出来るのも子供が健常の内だけです。 親子の関係も子供が高齢者になった時点で親も子も同じ高齢者の括りとなるのです。 そうなる前に子供としてできる事は進めておくべきです。