親の介護は自分の未来~介護からお見送りまで体験記

親が要介護状態になった時の家族の介護から葬儀まで

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母親の介護

母親の介護編㉓母親が義母親の介護をしていた時代~介護のきっかけ

私の母親が義母親(父親の母)の在宅介護をする事になったきっかけは、父親の兄弟間で誰が介護をするかで揉めた挙句に兄弟喧嘩の末、父親がすべての介護を自分がやると言い切ってしまった事が原因です。母親に任せきりにするくせに、そんな大事な事を決めて…

母親の介護編㉒僅か半年の在宅介護の記憶③

僅か半年の母親の在宅介護でしたが、 私や妹が傍に居ることで、父親の身勝手な行動も無くなり、体調は改善しないながらも穏やかな精神状態の母親を日々見る事ができました。

母親の介護編㉑わずか半年の在宅介護の記憶②

パーキンソン病の母親が、要介護度が上がりすぐにでも公的介護施設に入所したかったのですが、希望者が多く入所可能になるまでの間は、在宅介護となりました。

母親の介護編⑳ わずか半年の在宅介護の記憶①

亡くなった母親は、パーキンソン病という難病で、介護施設での闘病が長かったのですが、公的介護施設入所までの待機期間が母親の唯一の在宅介護でした。 病名がわかるまでの病院巡りが1年半、 要介護になり、在宅介護の期間は僅か半年です。

母親の介護編⑲母親が義母親の介護をしていた時代~優しい気持ち。

母親が義母親の介護という血の繋がりの ない関係で介護を行う場合は特に、お互いが、相手を思いやる気持ちを持てるか、感謝の気持ちを言葉にできるかが、 ポイントですね。

母親の介護編⑱母親が義母親の介護をしていた時代~話せる環境。

親を介護する上で大切な事は、介護する側、される側がお互いに何でも話せる環境作りをする事。親が要介護になる前に親子で元気なうちに将来の介護について、備えについて意見を共有しておくことが重要です。

母親の介護編⑰母親が義母親の介護をしていた時代~言葉の出し入れ。

母親と私、妹は実の親子関係であり、お互いが健康であった頃は、お互い主張しあう関係だったのですが、母親が介護される立場になった途端、私達に感謝の気持ちを言うだけで、母親の本当の気持ちは私達家族には吐き出す事はしませんでした。

母親の介護編⑯母親が義母親の介護をしていた時代~耐える母親

義母親が亡くなり母親の介護が終わって 30年余り、母親自身が介護される側になりました。母親は実の子供である私達に対しても決して文句を言ったり、要求することなく、気遣いや、感謝の言葉を 言ってくれました。

母親の介護編⑮母親が義母親の介護をしていた時代~義理の関係で介護は上手くいく?

母親が義母親の介護をする場合、特に介護される側の義母親の感謝の気持ちや、気遣いがない限り、良好な関係は築けません。嫁に来たのだから目上の人に尽くすのは当たり前だという考えでは、血の繋がりのない者同士の関係は、成立しません。

母親の介護編⑭母親が義母親の介護をしていた時代~される側になっても。

母親は、義母親の介護で酷い態度を取られても常に献身的な介護をしていました。それは母親自身が介護される立場になっても、相手への気遣いや感謝の気持ちは忘れませんでした。

母親の介護編⑬母親が義母親の介護をしていた時代~末期の闘い。

義母親(父方の祖母)の母親に対する態度は、容態が重くなり介護施設に移ってから更に酷くなりました。とても介護をしてもらっている態度ではなく、母親に対する罵声、罵倒はエスカレートする一方でした。

母親の介護編⑫母親が義母親の介護をしていた時代~封建的。

母親に対する祖母と父親の態度は、とても介護をしてもらっている態度ではありませんでした。戦争といううものが人間形成において封建的な人格にしてしまったのかもしれませんが、母親を家族として迎え入れたのですから、人間として扱って欲しかった。

母親の介護編⑪母親が義母親の介護をしていた時代~初めて

実の両親の介護ならまだしも、母親にとっての初めての介護が口うるさい義理の母親なんて。せめて父親が協力的ならば 母親もどんなに救われたことか。

母親の介護編⑩母親が義母親の介護をしていた時代~自由

義母親が亡くなり、母親は強制的な介護からようやく解放され自由を手に入れました。ねぎらいの言葉や助けのない介護は苦痛でしかないと言っていた母親。

母親の介護編⑨母親が義母親の介護をしていた時代~強制的

血の繋がりのない義母親の介護を私の母親がする。この時代は半ば強制的に嫁に来たら家の事はやって当たり前、父親のねぎらいの言葉やフォローは一切なし。 こんな環境の母親。

母親の介護編⑧ 母親が義母親の介護をしていた時代~やって当たり前。

母親が血の繋がりのない義母親の介護を 強制されることは、当たり前なのでしょうか?父親曰く『嫁に来たら家の事は全て母親がやるのは当たり前。』という時代は今では通用しないと思います。

母親の介護編⑦ 母親が亡くなり6年で出てきた遺書

母親が介護施設で亡くなり6年、 実家の母親の趣味の部屋の油絵の中から 遺書が見つかりました。

母親の介護⑥ 最後の手紙

介護施設で母親が亡くなりました。 後日、母親直筆の手紙が出てきました。 子供を思う気持ちや、もしもの備えに 感謝です。

母親の介護編⑤ 母親の最期

母親の好きな風景 母親が介護施設で寝たきりとなりしばらくして 母親は亡くなりました。 死因は心不全と担当医から説明を受けましたが 後から聞いた話では医師は容態が悪化した際 医師は不在で処置が遅れたようです。 私も深夜の夜勤中に連絡を受け介護施設…

母親の介護編④ 特養ホーム退所へ

母親の好きな風景 特養ホームに入所して半年、母親は自力での食事が困難となり 民間の介護施設への転院を余儀なくされました。 自力での食事が出来ず、容態も悪化していたため 医師や看護師が24時間常駐の介護施設(介護療養型医療施設)に決めましたが 介護…

母親の介護編③ 最後の家族旅行

母親の好きな風景 特養ホームは費用負担が少ないため入所希望者が多く 要介護認定が入所要件を満たしても満床の事がほとんどで 空きが出るまで順番を待たなくてはいけません。 母親の時は3か月で入所出来ましたが 中には半年近く待っていた入所者もいました…

母親の介護編② 介護施設へ

母親の好きな風景 両親の自宅に介護用品を設置したり、購入したりと 準備を進めたのですが、介護用品を殆ど使うこともなく 母親は寝たきり状態となり、ケアマネさんに介護認定をしてもらうと 要介護3との判定。介護等級では特養ホームへの入所が可能となり …

母親の介護編① 歩行困難

母親の好きな風景 母親の原因不明の歩行障害 今から15年ほど前、絵画や旅行、洋裁が趣味で外出大好きな 母親が度々歩行中に転倒するようになりました。 私たち子供よりも母親が一番ショックを受けていました。 大好きな外出ができず友人と会えない日々。 …