親の介護は自分の未来~介護からお見送りまで体験記

親が要介護状態になった時の家族の介護から葬儀まで

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母親の介護

母親の介護編52 母親が果たせなかった事。

母親は『元気な内に妹と一緒に高級介護施設で優雅な余生を送りたい。』という 夢は病状の悪化で叶いませんでしたが、 人生100年時代、まだ時間は40年以上ありますので、元気な体さえ持っていれば 働き、資産形成し、丈夫な体を維持する事が可能です。

母親の介護編51 病は気から

母親の前向きな気持ちを私達に伝え続けてきたおかげで、私達家族は成長できたのですが、やはり母親も病気の進行に前向きな気持ちを失っていった。 病は気からと言うけれど、母親自身が自力の食事も出来ない状態になった事で、気持ちの糸が切れてしまったので…

母親の介護編㊿希望が無くなった時

母親は要介護になっても社会復帰を目指して辛いリハビリにも取り組んできましたが、自分の回復が叶わないと分かった日から、ネガティブな感情に支配されるようになり、病の進行が速まりました。

母親の介護編㊾活発だった母親の要介護

元々ポジティブで活発な母親がや病に倒れて人の世話を焼く事も自分で何かをする事も出来なくなり、生きる希望を失った瞬間から、要介護度が上り、衰えが目立つようになりました。

母親の介護編㊽母親の残した物

母親が元気で活発だった頃に私に対して事ある毎に言っていた事は『人の為に真剣に汗をかける人になりなさい。』と。 そうすれば自分が困難に陥った時に必ず手を差し伸べてくれるからというものです。 母親が世話を焼いた人たちは母親が要介護になると、何か…

母親の介護編㊼介護は気持ちでやるもの

父親からの協力や労いの言葉1つ無い義母親の介護を押し付けられた母親の気持ちは長い間父親から離れたままでした。 辛い時こそ気持ちを共有し協力しあう気持ちが無ければ、ましてや血の繋がりのない、同じく感謝の気持ちもない義母親の介護は日々辛い作業?…

母親の介護編㊻父親の暴力

母親は介護施設での死の直前まで『お義父さんとは別の墓にして』と言い続けていました。 その原因は母親が父親の実母の介護を押し付けられて、何のフォローもしない父親に愛想をつかしたためです。 母親が義母親の介護の事を父親に相談しようものなら、暴力…

母親の介護編㊺母親から私に託された事?

母親の介護末期の事です。長男の私が介護施設へ面会に行ったときに母親は『○○お願いがあるの、私の妹(叔母)は身寄りが無いから最後まで見守ってあげて。それから○○さんのお義母さん(私の妻のお義母さん)の事もお願いね』と母親の最後のわがままを言うの…

母親の介護編㊹蜩のなく季節

私の母親が介護の末に亡くなったのは夏の終わりを告げる蜩のなく季節でした。 毎年蜩の鳴き声を聞くたびに、母親が病床で訴えていた『早く家に帰りたい、寂しい』というか細い声を思い出します。 あんなに元気だった母親が病気をきっかけにみるみるやせ衰え…

母親の介護編㊸姉(母親)と妹(叔母)の約束

姉(私の母親)と妹(母親の妹、私にとって叔母)は若い頃から高齢の今まで 冠婚葬祭やその他の行事を2人で切り盛りしてきました。 楽しい事、悲しい事 関係なく人が集う場には いつも2人で切り盛りして汗をかく姿がありました。 お互い家庭を持ち別々の暮ら…

母親の介護編㊷実の両親の介護は・・・。

私の亡くなった母親は実の両親の介護経験がありません。私にとっては祖父母になりますが、祖父は癌で入院して10日足らずで、祖母は入浴中の心筋梗塞で亡くなったからです。 そんな母親の初めての介護は義母親、 父親の母親 私にとっては祖母です。 寝たきり…

母親の介護編㊶母親の命日の追憶③

葬儀の打合せや行程が決まり、親戚、友人への訃報の連絡も終えて、私が介護施設に駆けつけて およそ12時間、ようやく母親の顔を見ることが出来ました。 私の幼少期から現在に至る迄の思い出話を母親とかわして、今日初めて母親の死を実感できた気がします。

母親の介護編㊵母親の命日の追憶②

介護施設での母親の死の連絡。仕事を早退し介護施設へ向かうと、私が母親と対面する前に父親から『喪主は出来ない』 と言われ、妹と悲しみを共有する間もなく、介護施設、葬儀屋との打ち合わせ、 近親者や友人への連絡等々、頭の整理をする間もなく次から次…

母親の介護編㊴母親の命日の追憶①

介護施設からの連絡で母親の訃報を聞き仕事を早退して介護施設へ向かいました。まだ健在の父親が喪主は出来ないと言い出し、長男の私が喪主をやる事になり、介護施設の引き払い期限や葬儀屋の選定、打ち合わせで母親の死に顔を見る暇もなく、 介護施設に駆け…

母親の介護編㊳病名が早くわかれば?

私の母親の生前、病名不明の病で病院を盥回しにされた苦い過去があります。 病名が判断できずに、ただ転倒しやすいという理由で整形外科にて体を酷使するリハビリを強要され更に体調悪化となる 事のないような介護、医療の体制を望みます。

母親の介護編㊲『油絵を描きたい』

平均寿命と言うのは親が最期まで健康に過ごす事の出来る寿命ではありません。 健康に過ごす事の出来る年齢の上限が本当の意味での平均寿命ではないでしょうか? 親が例え90歳まで生きても最後の10年が寝たきりや要介護であれば本人やその家族にとっては幸せ…

母親の介護編㊱保健医療の弊害

健康保険証制度が充実しているわが国では、医療の発達とともに処方薬での健康維持、高齢化社会になっていますが、そもそも病気のかからない体作りやサプリメントでの健康管理が遅れていると思います。 医療や薬の進化によって寿命は延びたが、基礎体力や病気…

母親の介護編㉟平均寿命と健康寿命

健康寿命が平均寿命と差のない事が親にとって一番幸せな人生ではないでしょうか?100歳まで生きても最後の十年が寝たきりで要介護であったら、親本人もその家族も日々の生活に支障をきたしながら介護をしていかねばなりません。 高齢でも最期まで自身で何で…

母親の介護編㉞最後の10年が介護なんて

親の介護は家族の方の将来の鏡だと思ってください。90歳まで生きたとしても、最期の10年が要介護であったら? 自身も家族も不幸です。 高齢者になっても自分自身で考え動ける 健康を維持する方法を今から実践し、病気に負けない心身の健康を今から考え実行し…

母親の介護編㉝『墓は別にして・・・。』

母親は要介護になり寝たきりになってから、『もし私が死んだら父さんとは別の墓にして』と言っていました。 父親の母(祖母)が要介護になり私達の家に引き取った際、母親にとっての義母親の介護を母親に押し付けた父親に対して、何十年も恨んでいたのです。…

母親の介護編㉜母親が笑った意味?

親の介護は輪廻ではないですが、いつかは必ずめぐってきます。その事を念頭に介護に対応できる自分自身の健康管理や体作りを怠ってはいけない。と母親が私に笑顔で語りかけてくれたのではないか?と思っています。

母親の介護編㉛老老介護に備える

今世間では老老介護の問題が取り上げられていますが、親の育てられて今の自分があるという事を念頭に親の介護を含めた人生設計を若い内からしておく事をお勧めします。独立して新しい家族を持ち 自分の子供が独立するまで、また家を買って住宅ローンを完済す…

母親の介護編㉚素人が病名を特定するには?

親の病名や症状が判らない場合、近くのかかりつけ医を頼りにしてきましたが私の母親が結果パーキンソン病だったのですが、病名が判らず整形外科を紹介されたことで、病名不明のまま無駄なリハビリで母親の寿命を縮める結果となりました。 本当に信頼できる医…

母親の介護編㉙分岐点

母親のかかりつけ医の誤診?により、(母親はパーキンソン病だった)整形外科への紹介をされ、それ以降整形、リハビリと体を悪化させる結果となり、改めてかかりつけ医の重要性と共に母親を一番診ていた医者として様々な症例を疑ってみる事への重要性を思い…

母親の介護編㉘良い医者と巡り合うには?

母親の病名が判らず適切な遅れて その後の介護や入院生活において 結果、寿命を縮める結果となった 母親ですが、かかりつけ医の大切 さを改めて思い知る事になった。 母親の病名がわかるまで 母親は風邪の時、体調不良の時、 予防接種の時もかかりつけ医に …

母親の介護編㉗かかりつけ医も・・・

母親が生前に原因不明の症状で平坦な場所での転倒を繰返していた時、十数件の病院の診断はどれも整形の病院での治療やリハビリを勧めるものでした。 この診断により15件めの大学病院で パーキンソン病と診断されるまで誤った治療により筋力を酷使し、要介護…

母親の介護編㉖病名が判らない過去

母親がパーキンソン病が原因で要介護となり闘病の末に亡くなりましたが、母親の病名が判明するまで10を超える病院を転々とし、その間誤った治療方針で体を酷使し寿命を縮めてしまったという後悔は今でも持っています。 母親の通院当時は病院に病名を判明させ…

母親の介護編①~82母親介護体験特集

私の母親がパーキンソン病から要介護状態になり在宅介護から介護施設へと入所、そして亡くなるまでの介護体験と、母親が義母親(父親の母)の在宅介護をしていた時代を振り返る、母親の介護体験特集ページです。

母親の介護編㉕母親が義母親の介護をしていた時代~酷い仕打ち

義理の親子関係の介護で、介護される側が、感謝の気持ちが一切なく主導権を握ってしまうと、介護する側の母は、ものが言えずに、ただ耐えて介護をするだけ の地獄のような日々があるだけ。

母親の介護編㉔母親が義母親の介護をしていた時代~絶縁で母親の負担増

父親の兄弟間の親の介護分担が喧嘩別れになり、私の父親が実の母親の面倒をみる事になったのですが、実際は私の母親に任せきりで、母親の負担が増えただけでした。