2024-01-01から1年間の記事一覧
親の介護をする家族の求める介護への要望とケアマネの考える介護へのスピード感は明らかに違う。 家族が求めるのは親を1分1秒でも早く楽にさせてあげたい気持ちだが、ケアマネのそれは1週間後、1か月後とかなりのタイムラグがあるように思う。
親は家族にとってかけがえのない存在であり無償の愛で1日でも多く支えてあげたいと思うが、 対して介護施設やケアマネは 施設全体の安全面や健康面を判断する人の命を預かる責任がある。 どうしても無償と商売や人の命という事を優先せざるを得ない
親の家族の希望と介護施設やケアマネ側の連絡に誤差があり、面会やお見舞い、かかりつけ医への 定期健診の日程が2~3日前まで 決まらない事が多く、仕事を持つ家族は急な休みの変更などで非常に困っている。
60歳を過ぎて雇用延長したとはいえ、1度肩の荷が下りてしまうと 現役時の様に責任感や達成感を 得られる事なく淡々と生きていませんか? 肩の荷が下りた瞬間と生き甲斐のない日々は要介護まっしぐらとなる事を肝に銘じて下さい
私の亡くなった母親の様に、日々懸命に生きたいと願っていても 全身の筋肉がなくなり要介護、寝たきりとなり逝ってしまった事を 思い出し、60歳を過ぎても気を抜いてはいけない、公私共に緊張感を持って達成感を味わう為に日々過ごすべきであると思う
要介護や認知症は気から。 定年退職を機に心身共に気の抜けた状態は、その後働き続けていたとしても要介護や認知症に近付いてしまう。幾つになっても目標や 緊張感を維持できなければ、明るい老後は訪れない。
親の介護時には『もし、私が要介護になったら』なんて考えもしなかったが、親を見送り自身が60歳を過ぎて、自分の身に衰えを感じて初めて味わった時のショックは 計り知れなかった。 そして親の介護時に自身の介護予防の行動を起こすべきであったという後悔。
親の介護をし親を見送れば次は私達子世代が要介護や認知症に備える順番です。 その事に気付くのが自らの心身の異常が起きてからでは遅いのです。親の介護をしながら自らの将来の要介護予防を考え、健康維持の取組をはじめるべき。
仕事仕事の毎日から定年退職で解放され不規則な生活で要介護に近付いてしまう悪循環の日々。 仕事を続けたとしても60歳以降は 単純作業で何となく気が緩んだ日々を送ると心身の衰えが顕著になり要介護へ一歩前進。
老後は自宅で酒三昧?1日中テレビでぐうたら等、なんの目標設定もなしに年金暮らしやアルバイトを始めても、現役時代に得られた 達成感や生き甲斐は感じません。 むしろ要介護に認知症に日々近付くための生活になってしまう。
両親が病気や怪我をきっかけに 要介護や認知症になった事を 私が60歳を超えて実感する日々。 仕事も責任感が亡くなり、ただ言われた事をこなすような日々が続くと、自ら考え、話し、行動する 事がなくなり心身の衰えが進行していく事を実感します。
特に男性の場合、仕事に生きがいを持って働いていた人が多いので 60歳以降、緊張感や責任感から解放されて『何を生き甲斐に生きれば?』と心身ともに要介護に近付く方が多い気がします。
60歳以降も働いているとはいえ、 役職からは解かれ責任からも緊張感からも解放された今、心身ともにお気楽モードで何か気の抜けた日々を送っていると、体を過度に動かす事も、頭を使う事もなく 心身の衰え等、要介護へ近付いていると実感する。
私も生前の両親を在宅介護時には イライラしたり感情を表に出して しまったりと介護ストレスを感じ 日々を過ごしていました。 介護ストレスは仕事にも悪影響 介護ストレスで厄介なのは仕事や 日常生活にもイライラを持ち込み 周囲の人にも嫌な思いをさせて …
介護ストレスに悩むあなたは真面目で勤勉な方に多い。つまり手を抜く事をしない人ほど、親の介護所ではない重度のストレスを抱えて日々懸命な介護をしていますね
ストレスを解消するのが不得手な方は、仕事以外に付き合いのない人や仕事という趣味?以外に時を忘れる事の出来る好きな事、趣味がない人が多い。
介護ストレスをひとまず忘れて オメガトライブのライブ会場で 40年前の私に戻ってきました。 オメガのライブが近付くと代り栄えのない日々のモチベーションが 上りまくりでした。ライブの為に 働き、辛いなんて思わない。 介護もそうありたい。
介護ストレスに悩みながら親の介護をしてきた60歳過ぎの男が、 40周年を迎えたオメガのライブで あの頃の自分に戻ってきました。 この時ばかりは、親の介護、自分の介護は忘れて、20歳代の希望に溢れたあの頃にタイムスリップして歌いまくってきました。
母親に義理の母親(祖母)の介護を任せきりにして好き勝手にお山の大将をしていた父親が認知症で要介護となっても、親という愛情は湧く事はなく、長男の私は仕事の様に淡々と仕事の様に介護をこなした。
認知症の父親は亡くなる1か月前に父親の若かりし頃のアルバムを見つけ、毎日、毎日思い出を懐かしみ、その表情は認知症の父親ではなかった。
認知症の父親の介護末期は昔懐かしいアルバムを頭に目に焼き付けるように毎日、毎日 アルバム鑑賞三昧の日々。まるで父親自身が死期を悟っているかのようにむさぼるように写真を眺めた。
父親が認知症で在宅介護となり、ひとりでの外出で警察に保護されて以降、独りでも家にいる事が多くなり、更に人との会話や風景を楽しむ事がなくなり認知症が進む中、父親の昔の写真が父親にとって唯一の癒しの時間となった。
父親が認知症となり在宅介護とデイケアへの通所を始めたが、父親が亡くなる少し前、父親は自宅で趣味の登山や父方の親戚との写真をどこから見つけたのか眺めて楽しむようになった。
資産整理で人と対面する叔母は元経営者らしく集中力を持ち毅然と振舞うが、何もないオフの1日の叔母はただの要介護のおばあさん であり、まるで別人だ。
要介護にも関わらず資産を整理し 親族等に分配をするため日々銀行や不動産屋と打合せを重ねるが、その時の真剣な表情や集中力は 独り佇む自宅では完全に病人の顔となる。
肺炎で要介護生活の中、残された時間の中で遺産整理を行い、銀行や不動産屋と交渉の日々の中で、 自宅での完全オフの日の叔母は 人前では決して見せない病人の顔である。
要介護の身の元経営者の叔母の資産の整理は法人と個人の両方を整理するので本当に労力がかかる。叔母自身の残された時間の中で肺炎と闘いながらも銀行等との話は気を抜くことが出来ない。
肺炎で要介護の叔母が病気を押して資産整理を急ぐのは、周囲に迷惑を掛けずに、親族の利益になる物だけを残し負担のなる物は整理してからという周りに配慮する姿勢であり・・・。
義理の母親が要介護で介護施設入所中の為、長男が未使用の土地の買い手を見つける為に奔走していたが、少しでもお金に換えようとすると見つからなかった買い手が・・・・。
義理の母親は介護施設に入所し認知症も進行する中で義理の母親名義の土地の処分に同居していた長男が日々奔走している。もう使用品K不動産の処分は義理の母親が存命の内に済ますべき重要課題であり・・・・。